テンポラリで未分化なもの
現代の書籍に、調べる過程がプロットだと感じるものがある。エビデンスを欲する読者に向けた、「調べる」の肩代わり/追体験であり、「ぎゅっと詰め込みました」の自然な再現。裏を返せば、(著名であったり動画発信のフォロワーが多かったりは例外として)見知らぬ個人の意見や理論をそのまま読みたいと思う人が減っているのだろう。もともと少ないのかもしれないが。
レオナルド・ダ・ヴィンチ→ヴァレリー→東宏治の系譜に連なりたいと思っている。
ほぼ日サイトの文章やドラゴンクエストの画面など、あきらかに一目でそれ(「ドラクエだな」)と受け取り手に感じさせられるきわめて少数の作品や表現がある。それがどのように生まれるのかはほぼ分からないにしても、1作品や1ページだけで成立しないことだけは直感する(あるいは思考の癖として)。デザインシステムという言葉で大まかに済ませてはいけないと思われる、何かしらの一貫性。
僕が今まで解題したと言えそうな作品は『ドラゴンクエストⅠ』だけかもしれない(それも『シルアードクエスト』をつくるために)。
『生成AIで心が折れた』にも、感情に向き合うことが記されていた(171p)。『自分の小さな「箱」から脱出する方法』、『感情は、すぐに脳をジャックする』といい、複数の本が同じところを指していると感じられる。そこを読み手としての僕が着目/抽出している。
個人の記録を集めるものとして、AI的な文章への嗅覚は常にするどくあること
僕よりも早起きの家族=配偶者がいる状態で、ヴァレリーのカイエ(毎朝、思考を書き続けること)は成立するのだろうか(夜寝る前に書くのはカイエ的ではない――そう思った直後、すぐにこの疑念に至る)
AIサブスクで生成プレイするシミュレータを作れないだろうか?