私的さについての覚書
私的な言語で書かれた文章を私的な文章という場合、当然それは他の誰かに伝えることは難しい。(別人にとって)文章として読むことはできても、その中身が私的であるからだ。あくまで、そのときの書き手が文章に込めようとしたことの痕跡としてある。(書いた本人にとって)文章から私的さを取り出す難易度は、その私的言語の強度による。その私的言語を使って繰り返し書く、あるいはワンショットであっても書き手が実感を持って獲得した感覚や思考であるならば。
ドラフトとしてのメモ/あるいはドラフトとしての日記。揮発性とドラフトの関係性、類似あるいは差異を調べること。
私的なことと個人的なことの区別を伝えるのが難しく、ゆえにいったん「私的」という言葉を私的な言語として据えている、というのが現状だ。
僕にとって、私的という言葉にも目立つ意味とさらに隠された意味があるように、「大人向け」という言葉にも、エロ・グロ・暴力といったその言葉から目立って想起される言葉のそばにある別の(往々にして目立たない)意味を拾い上げて取り扱うこと。例えば静かで落ち着いた雰囲気であるとか、子供だましでないこと、欲望で安易に釣らないこと……
AIが頑固だと感じられるとき、僕が頑固になっている可能性がある。率直に言ってくれと指示しているにも関わらずAIがしつこく同じ指摘を繰り返すと腹が立ってくる。人間であればそれを無視して進めないだろうという場面で次の指示を送ったり、半ばAIが自分によりそって意見を変えるだろうと強引に問い詰めたりする。その繰り返しが、AI以外とのコミュニケーションに現われないわけがない。
ひんやりした空気とあたたかい空気が適度に混じると、まどろみ・眠気が生じるという可能性。たとえば冷房の効いた部屋に窓から日光を取り入れることで再現・検証してみること。
自分の肉体/身体の条件についても断章という形で模索してみること。
当たり前だけれど、僕や僕の活動を興味を持ってコンタクトしてくれる人ばかりではない。(僕を興味深く思うはずだと僕が思う人の)誰もが僕に対談やインタビューをオファーすべきと思う自分がいる。その自意識。