キーボードと音声の文体を模索する

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個人のサイトは自分の文体=スタイルの現われであること。つまりここは、(恥らいの有無に関わらず)僕という人間の感性や思考をとり出せ、受け止められる器でなくてはならない。それは(自分らしいと言うよりも)自分のものだと思えるかであり、手に馴染ませる模索であること。

keyboard / human ◎−3

僕の断章は、最終的な成果物としての断章だけでは足りなくて、その断章ができていく過程やバージョンをも保存しないといけないのかもしれない。ドミニクチェン氏のタイプトレースを思い起こさせる記録のあり方を、特別でない個人としても使えるようにすること。

今では、文字列のそれぞれが音声なのかキーボード入力なのかをも保存して再生するしくみも生成AIによって可能そうであるが、それによって何かが起こるだろうか。もしかしたら、文章作成行為において、どの項目を保存し、どの項目を表示する(あるいは演出する)といったことが、それぞれの書き手の出力プロセスや意識を表現することになる。

keyboard / human ◎−8

やまだようこさんの著作集を読んでいて、居心地の良さを感じる、その読み心地は何なのだろうか。現代の書籍の引き締まった感じ、エビデンスやリサーチに基づいている感じ、読者を不快にさせない配慮やテンプレetcとは違った、どこか手作りであり、ややもすると素朴であるような。一方で、自身の実感や着想に基づいているといった感覚。

keyboard / human ◎−9

いくら自分の文体の行く末を静謐な方向に願おうとも、20年も前の高山とドンフライの殴り合いの動画に心を奪われるという一面も僕にはあるのだ。

keyboard / human ◎−16′

毎日、(日記や日誌ではなく)断章が書けると良いのだが。

keyboard / human ◎−17′

45歳の僕にとってしっくりくる文体。それも、ここから10年(55歳ぐらいまで)自然に付き合う文体として。(あらためて東宏治さんの文体を改めて真似することも含めて)恥や外聞、あるいは照れを気にせずにやってみること。誰にも見せない前提のモードで。

keyboard / human ◎−18′

AIと一緒に制作をすると、分析的・洞察的ではあるにしても、足し算的にドキュメントが溜まり、積もり、やがて層ができていく。そこで統合的、あるいは引き算的にドキュメントをまとめたいのだけれど、その中に自分が手やキーボードで書いたテキストがある場合にためらってしまう自分に気がついた。AIに自分のテキストを(あるいは自分を)消されるのではないかという、恐れ、不信。

keyboard / human ◎−21′

基本がデスクトップである(ノートパソコンではない)がゆえに、旅の時は手帳に書くという、モードの切替え。

keyboard / human ◎−23′

いぬのせなか座さんの「開示」や東宏治さんの「思念」。僕が文章や書物から持ち帰れる単位。

keyboard / human ◎−25′

AIに本を書いてもらっていると、草稿(初回の生成)よりも全体への推敲(整合性を維持しながら)に時間やトークンがかかっていると感じる。言葉(用語)をひとつずつ直していったり、全体にまたがる具体例の変更であったりするが、特に後者はAIが保守的になり修正を嫌がるので通すコストもかかる。

keyboard / human ◎−41′

AI時代の文章。言葉の使い方をひとつ変える/直すだけで、すべての文章を走査・監査する必要がある。

keyboard / human ◎−43′

AIに書いてもらいながらも、自分の手のうちに入れられる文章のサイズをつかんでいくこと。僕自身とAI側の変化にも対応しながら。今日の時点では40章、100万字のテキストは、扱いやすいサイズとは言えなかった。2万5千字の1章も、(よほど出来が良くない限り)僕の認知体力を消耗してしまうようだった。

keyboard / human ◎−44′

「履歴・応答・情報・状態・行為」 「保留・停止・公開・採用」 「保留・拒否・採用」 AIが作る長大ドキュメントに無数に埋め込まれた列挙のパターンがあった。

「文章・画像・音」が膨れ上がり 「設計案・状態遷移・文章・画像・音・コード・UI・テスト・反例・原因仮説・修正候補」 までに至ったパターンもあった。

僕は列挙が好きだと思っていたが、(特に読み手にとって)何でも列挙すればいいというわけではない。AIによって突きつけられ、教えてもらったことのひとつ。

keyboard / human ◎−45′

Scrivenerに書く作業場が移るのは完成に向けたひとつの兆し。

keyboard / human ◎−50′

AIが翻訳してくれた文章における「発見」と「発表」、そして「発明」の使い分け。『Grunch of Giants』でRBFはシナジェティクスを「1927年発見、1944年発表」とし、ジオテック・ドームは「1938年発明、1947年試作」としている。

keyboard / human ◎−56′

“小庭には川側と軒下の二席があり、灯は一つだけある。凪は三枠の読書を予定している。夕方に雨が降ると川側は使えず、暗くなれば灯も必要になる。灯を川側に置いた日は、雨と暗さが重なる十七時に使える席がなく、凪は一枠待つ。”

生成AIに書いてもらったゲームデザインの本で、こんな例示を目にした瞬間、読むモードがブレイクしてしまった。認知負荷があったのか状況をイメージできなかったのか、コンテキストスイッチが入ったような感じもしたし、端的に言えばつまらなく感じたようでもあった。

もし例示が機能せず失敗すると、このようなことが起こるのであれば、人に読ませる文章で好き勝手な例示はできないのかもしれない。もっとも、例示に限ったことではないかもしれないが。

keyboard / human ◎−57′