キーボードと音声の文体を模索する

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個人のサイトは自分の文体=スタイルの現われであること。つまりここは、(恥らいの有無に関わらず)僕という人間の感性や思考をとり出せ、受け止められる器でなくてはならない。それは(自分らしいと言うよりも)自分のものだと思えるかであり、手に馴染ませる模索であること。

keyboard / human ◎−3

僕の断章は、最終的な成果物としての断章だけでは足りなくて、その断章ができていく過程やバージョンをも保存しないといけないのかもしれない。ドミニクチェン氏のタイプトレースを思い起こさせる記録のあり方を、特別でない個人としても使えるようにすること。

今では、文字列のそれぞれが音声なのかキーボード入力なのかをも保存して再生するしくみも生成AIによって可能そうであるが、それによって何かが起こるだろうか。もしかしたら、文章作成行為において、どの項目を保存し、どの項目を表示する(あるいは演出する)といったことが、それぞれの書き手の出力プロセスや意識を表現することになる。

keyboard / human ◎−4

やまだようこさんの著作集を読んでいて、居心地の良さを感じる、その読み心地は何なのだろうか。現代の書籍の引き締まった感じ、エビデンスやリサーチに基づいている感じ、読者を不快にさせない配慮やテンプレetcとは違った、どこか手作りであり、ややもすると素朴であるような。一方で、自身の実感や着想に基づいているといった感覚。

keyboard / human ◎−10

いくら自分の文体の行く末を静謐な方向に願おうとも、20年も前の高山とドンフライの殴り合いの動画に心を奪われるという一面も僕にはあるのだ。

keyboard / human ◎−12

45歳の僕にとってしっくりくる文体。それも、ここから10年(55歳ぐらいまで)自然に付き合う文体として。(あらためて東宏治さんの文体を改めて真似することも含めて)恥や外聞、あるいは照れを気にせずにやってみること。誰にも見せない前提のモードで。

keyboard / human ◎−16

毎日、(日記や日誌ではなく)断章が書けると良いのだが。

keyboard / human ◎−18

AIと一緒に制作をすると、分析的・洞察的ではあるにしても、足し算的にドキュメントが溜まり、積もり、やがて層ができていく。そこで統合的、あるいは引き算的にドキュメントをまとめたいのだけれど、その中に自分が手やキーボードで書いたテキストがある場合にためらってしまう自分に気がついた。AIに自分のテキストを(あるいは自分を)消されるのではないかという、恐れ、不信。

keyboard / human ◎−23

基本がデスクトップである(ノートパソコンではない)がゆえに、旅の時は手帳に書くという、モードの切替え。

keyboard / human ◎−24